沖縄復帰40年 何も変わらぬ沖縄
戦後、27年間米国の統治下にあった沖縄の施政権が日本に返還されて、15日で40年を迎えた。復帰に当たり日本政府が掲げた方針は「核抜き、本土並み」だった。「本土並み」とは、施政権を完全に日本に移し、日米安保条約も本土と同じように適用するという意味だ。同時に、沖縄を本土と同じように扱う、という象徴的な言葉でもあった。復帰から40年、沖縄は果たして本土と同じようになっただろうか。
戦後、日米安全保障条約の傘の下で本土の人たちが享受してきた平和と繁栄は、沖縄の犠牲の上に成り立ってきたといえる。この40年間、沖縄県民は、米軍基地の縮小、撤去、そして日米地位協定改定を求めて闘い続けてきたが、今なお、沖縄に在日米軍の75%が集中している。40年たっても改善されず固定化されたままだ。米軍基地の重い負担を強いられ続ける状況に、沖縄県民は「差別されている」との不満を強めている。米軍による事故や米兵の犯罪も後を絶たない。1995年の少女暴行事件で米軍は起訴まで容疑者の兵士の身柄引き渡しを拒み、2004年の沖縄国際大学へのヘリ墜落事故では米軍が日本側の警察、消防さえ現場から締め出した。こうした特権を保証する日米地位協定は一度も改定されていない。こうした沖縄の現状は、日米同盟の負担を小さな島に押しつけてきた日本の姿を映し出しているといえるだろう。
--- 辺野古浜通信より転載 ---
沖縄は「復帰」などしていない、沖縄をかえせ!
湿度の高い日が続いています。『復帰の日』だというので、報道の方も辺野古を訪れますが「復帰」の意味がわかりません!沖縄は「復帰」などしていません。沖縄の人間に返されていないからです。
今日、コンベンションセンター日本の首相がきています。そう沖縄では、みな「日本の」という言葉を当たり前のように使います。「アメリカの」という言葉と同じように、「やまとの」と言うこともありますが…
沖縄がどこに「復帰」したというのでしょう
今日は、米国から日本へ沖縄の「施政権返還」があった日です。
現に、いまも沖縄に民主主義はありません。県民の9割が反対していても基地を押し続ける「日本による施政権」が沖縄を苦しめ続けています。米国国務省、米軍隊の代行者として、日本政府が、防衛局が、内閣府が沖縄県の上を抑えています。
日本が占領し、支配、使用を続けることに「復帰」という言葉をもちいるなら正しい「日本人」ではないですね。「日本」はの0.6%の沖縄に、75%もの米軍基地を「依存」しています。
私たちは「基地のない沖縄」を返して欲しいとは願っているだけです。
だから「沖縄をかえせ」であり
だから「沖縄にかえせ」なのです。
野田総理は復帰40周年の記念式典で、「沖縄の基地負担の早期軽減を目に見える形で進めていくことを誓う。普天間飛行場の固定化は絶対にあってはならない」と述べた。基地問題について「米軍基地の集中が沖縄の皆さまに大きな負担となっていることは十分認識している」とし、米軍再編見直しの日米協議で普天間移設と、海兵隊のグアム移転や嘉手納より南の基地返還を切り離したことに言及し「基地負担軽減の『目に見える具体的な成果』につながる」と述べた。
民主党にとっての「負担軽減」とは一体何なのだろうか?負担を減らす方法として自民党政権は金をばら撒くことで「沖縄の負担軽減」を行ってきた。民主党政権は、沖縄県民の負担を少なくする方法として、沖縄振興予算で金をばら撒き、海兵隊のグアム移転や米軍施設返還などによる危険性除去に「最優先」に取り組むとしたものの、そのために新たに施設や基地を造っては、日米で密約を繰り返してきた自民党と同じである。なぜ沖縄でなくてはならないのか。現状を打開するには、現実から目を背けてはならない。そんな当たり前のことが、普天間問題ではなぜできないのだろう。住宅地が迫り、世界で最も危険と米軍首脳も認めた普天間返還のためとはいえ、在日米軍基地の約75%が集中する沖縄県に新たな基地を造ることは、さらに重い基地負担を強いる。移設先とされた辺野古地区のある名護市をはじめ、公有水面埋め立ての許可権を握る仲井真知事まで反対する中、どうやって県内移設を実現するというのか。外務、防衛官僚べったりの政治家は、できもしない辺野古新基地建設にこだわっている。その本音は一体なんなのか知りたいところだ。全国の米軍専用施設面積の4分の3を押し付けられている沖縄から見れば「普天間」の返還はささやかな望みだ。今や大多数の沖縄県民が県外・国外への移設や無条件の返還を求めている。県内移設が事実上不可能なのは、仲井真知事が繰り返し指摘している通りだ。なぜ沖縄か。海兵隊が沖縄でなければならない特段の理由はないというのは、もはや常識である。米軍基地を沖縄に閉じ込めておけばいいという考えはおかしい。
▼沖縄タイムス 社説:[復帰40年]普天間を解決する時だ
1965年8月19日、佐藤栄作首相は現職の総理大臣として戦後初めて沖縄を訪れた。那覇空港での歓迎式典で、沖縄の祖国復帰が実現しない限り日本の戦後は終わらない、との歴史的メッセージを発した佐藤氏は、こうも語っている。「私たち国民は沖縄90万のみなさんのことを片時も忘れたことはありません」 のちに行政主席、県知事となる屋良朝苗氏は日記に記している。「総理を迎えた時は正直言ってさすが涙が出た」 復帰が実現したのはその日から7年後のことである。72年5月15日。40年前の復帰の日、東京と沖縄で二つの記念式典が開かれた。対照的だったのは、佐藤首相と屋良県知事の式典での表情である。政府にとって復帰を実現することは、何よりも戦争で失った領土を外交交渉で取り戻すことを意味した。東京での式典で佐藤首相は、高揚感に満ちあふれた表情で万歳を三唱した。だが、那覇の式典に出席した屋良知事の表情は終始、硬かった。「復帰の内容をみますと、必ずしも私どもの切なる願望がいれられたとはいえないことも事実であります」 あの日も、那覇市民会館と隣の与儀公園で、復帰記念式典と抗議集会が並行して開かれた。40年後のきょうも、同じ日に式典と抗議集会が開かれる。基地問題をめぐる過重負担の構図はこの40年間、ほとんど何も変わっていない。復帰から2009年3月末までに返還された米軍基地は、面積にして約19%にとどまる。この間、本土では約59%が返還されたのに、沖縄の負担軽減は遅々として進まない。沖縄タイムス社と朝日新聞社が4月に実施した県民意識調査によると、沖縄の基地が減らないのは本土による沖縄差別だと思うかとの問いに対し、「その通り」だと答えた人が50%に上った。「基地の現状は不公平だ」「本土の人たちは沖縄をあまり理解していない」―そう考える人たちが県内で急速に増えている。沖縄の人たちのまなざしが厳しくなっただけではない。本土の側の沖縄理解も、急速に変わりつつある印象を受ける。この40年を通して本土と沖縄の心理的な距離は、今が一番開いているのではないだろうか。基地問題をめぐって「心の27度線」が浮上しつつある。危険な兆候だ。米軍普天間飛行場の辺野古移設を盛り込んだ06年の日米合意は、死文化した。辺野古移設計画を断念し、早急に日米交渉を始めるべきである。普天間の固定化は許されない。沖縄を軍事要塞(ようさい)化し日米で中国を封じ込めるという発想は、米中関係の奥深さや国境を越えた「ヒト・モノ・カネ」の移動、市民レベルの文化交流など、国際政治の潮流を無視した一面的な考えである。冷戦思考を引きずっていては、沖縄の未来を展望することはできない。沖縄の民意は変わった。基地依存・財政依存からの脱却を目指した「沖縄21世紀ビジョン」の将来像は、多くの県民に共有されており、これからの沖縄振興は、この自立の動きを後押しするものでなければならない。▲
◇東京新聞 社説:沖縄施政権返還40周年 いまだ「復帰」なし得ず
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012051502000109.html
◇毎日新聞 社説:沖縄本土復帰40年 「差別」の声に向き合う
http://mainichi.jp/opinion/news/20120515k0000m070131000c.html
◇琉球新報 社説:復帰40年/自立の気概持とう 国の空洞化、無策を憂う
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-191203-storytopic-11.html
◇沖縄タイムス:復帰40年 米基地偏重 沖縄に負担
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-05-15_33763/
◇毎日新聞:沖縄復帰40年 何も変わらぬ 沖縄基地、私たちの課題
http://mainichi.jp/select/news/20120515k0000e040215000c.html
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在沖米軍が、在沖海兵隊の実数を1万5365人(2011年6月末時点)と県に2日までに回答した。日米両政府は在沖海兵隊の定数について06年5月の米軍再編最終報告と、先月27日の再編見直しの共同文書でそれぞれ1万8千人、1万9千人としているが、在日米軍再編協議が行われていた05年以降、実数は1万2、3千人台で推移し、最多でも1万5千人台前半にとどまる。海兵隊の実数と定数が大きく懸け離れていることが鮮明になった。両政府は定数1万人を沖縄に置き、それ以外を国外へ移転するとしているが、県民に負担軽減を印象付けるために、定数を多くし、移転する人数も水増ししている可能性もある。在沖海兵隊の実数は、県が在沖米軍に関する統計資料作成のため在沖米四軍調整官事務所に毎年照会している。それによると05~09年(各年9月時点)は約1万2400人~約1万4960人だった。在沖海兵隊は主に第31海兵遠征部隊(31MEU)が毎年、海外での共同訓練などで沖縄を離れる。米軍が回答した在沖海兵隊の実数が海外派遣数と重なっているかは不明。ただ、数年にわたり定数から大きく懸け離れた状態が続いており、両政府が沖縄の負担軽減として強調する定数8、9千人の移転が、実態よりも膨らませた数との疑いは強まる。「定数」をめぐっては06年の米軍再編ロードマップ(行程表)合意以降、根拠のあいまいさが問題となってきた。11年5月に内部告発サイト「ウィキリークス」が公開した米公電には、米軍再編で示された在沖海兵隊8千人と家族9千人のグアム移転について「日本での政治的価値を最大化するために意図的に極限まで増加された」との報告があった。今回の米軍再編見直し協議で米政府はそれまで1万8千人としてきた定数を2万1千人と説明。後に1万9千人と変えた。▲









